元メイドカフェ店員。('A`)
昨日後輩が飲み会に誘われてたんだけど純真無垢な瞳で「あっごめんなさい、ぼく今日ウチの夕飯グラタンなんで!」って断っていて「じゃあ仕方ないよね感」がその場一体を包んだ

intollerant:

Russian 9K720 Iskander (Theatre quasi-ballistic missile system) and OTR-21 Tochka (Operational tactical rocket complex) Missiles being fired during an exercise.

『毎月新聞』(佐藤雅彦著/中央公論新社)という本のなかに、こんな文章があります。
15年くらい前に書かれたものです。
僕は、ネットが嫌になったとき、これを読み返すようにしているのです。

 故郷で独り住まいをしている高齢の母親は、テレビの野球中継をとても楽しみにしています。「この松井って子はいいよねえ」と、目を細めながら応援しています。そして、好きな番組が終わると迷いもなくテレビを消すのです。たまたま帰郷していた僕は、そんな母親のあたり前の態度にハッとしてしまいました。『面白い番組を見る』――こんなあたり前のことが僕にはできなかったのです。


 テレビを消した後、静けさが戻ったお茶の間で母親は家庭菜園の里芋の出来について楽しそうに僕に話し、それがひと通り終わると今度は愛用のCDラジカセを持ってきて、大好きな美空ひばりを、これまた楽しそうに歌うのでした。


 僕はそれを聴きながら、母親はメディアなんて言葉は毛頭知らないだろうけど、僕なんかより、ずっといろんなメディアを正しく楽しんでいるなあと感心しました。そして目の前にある消えているテレビの画面を見つめ、先日のやつあたりを少し恥ずかしく思うのでした。


 つまらない番組を見て、時間を無駄使いしたと思っても、それは自分の責任なのです。決してテレビの責任ではありません。リモコンにはチャンネルを選ぶボタンの他に「消す」ボタンもついています。


 僕達は、当然テレビを楽しむ自由を持っていますが、それと同時にテレビを消す自由も持っているのです。


ネットは、テレビに比べると、「悪口が直接自分に向かって飛び込んできやすいメディア」です。
でも、パソコンの電源を切ったり、SNSにアクセスしなければ、道の向こう側から迫ってきて、無理矢理イヤなことを目の前で叫ばれる、ということはないんですよね。
そもそも、「イヤなら、つまらなければ、観ない」という選択も、僕たちにはできる。
見に行っているのは、自分の責任でもあるのです。
わざわざウンコを触り、臭いをかいで、「うわー、なんでこんなに臭いんだよ!」って怒っているようなものです。
それが臭いのは、知っているはずなのに。
(よ・う・か・い・のーせいなのね、そうなのね?)


正直、ネットで「情報を遮断する」というのは、「テレビの電源を切る」より、難しいとは思うんですよ。
ネットには「必要なもの」「面白いもの」と、「危険なもの」「不快なもの」が入り乱れているし。


それでも、僕たちには「ネットに触れない自由」があるし、そのための手段もある。
「ネットの中で、接触するコンテンツ」を選ぶこともできる。
まあ、大概において、わざわざ不快なものを引き寄せてしまうのは、自分自身なんですよね。


いまの世の中で生きていると、あまりにも「情報漬け」の状態に慣れすぎていて、そこから自分を遮断すると、不安になってしまう。
それはたぶん、杞憂なのです。
「なにげなくテレビを観つづけるのをやめる」、というのではなく、「積極的にスイッチを切るという選択をする」ことが、大事なんじゃないかな。


ネットで自分にとって不快なものに憤って改善しようとしたり、自分を嫌っている人を変えようとするのは、あまりにも不毛な作業です。
そんなどうでもいいものに関わっているほど、人生は、長くない。


自分にとって面白いものに対する知識を深めていったり、気が合いそうな人と繋がっていくことのほうが、「ネットの効率的な利用法」だと思います。


それでもやっぱり、「暗部」みたいなものが気になってしまうのも、事実なんですけどね……
これも「妖怪のせい」なのかな。

日本の社会のよいところは、万事物腰がおだやかで、普通の人でもどこか、どんな災厄に対しても覚悟ができている、というようなところだと思う。
「なに、そんなものは表面だけで、内心は薄汚いんですよ」という日本のひとにも多くあったが、仮にそうだとしても表面だけでもいつも穏やかにしていられるのは「文明」というものである。
人間には自分というものが判らないので、わからないなりに、おだやかで礼儀正しくしていようと思うのは正しい。
偽悪的なスタントなどは田舎者のやることで、傍迷惑なだけであると思う。
親切をむきだしにして、マヌケに見えても、人間は他の人間に対しては礼儀正しく穏やかに接するほうがよい。
日本のひとは、実際、連合王国ならば青い作業着を着て、荒っぽい言葉づかいで、話題と言えばサッカーのことくらいしかないひとびとと同じ社会的立場でも遙かに知的なひとが多かった。
そうした底辺に至るまで知的な社会の特性は、日本が欧州やアメリカよりも遙かにすぐれたところで、それを疑う人は(何回も繰り返すようだが)特に80年代や90年代の「インターフェース」のような雑誌を入手して読んでみるとよい。
日本のひとが、たとえば大学に行くチャンスがなくても、いかに「ものを知りたい」自然の欲求をもち、いかに高度な知識を身につけていったか判ると思う。
西洋人なら明日の夕食しか思い浮かべられない状況でも、人間の一生の意味や天上の星について思いをめぐらす人がたくさんいるのが日本の社会だという印象がある。
(via mashu)
まんだらけ「万引き犯の顔公開するンゴ」
警察「公開やめろ」
マスコミ「加害者とはいえ個人情報を公開していいのか」
まんだらけ「分かったンゴ」

警察「犯人捕まえた」
マスコミ「これが犯人の顔です!仕事はこれ!私生活はこう!趣味はナンタラで学生時代はこうでした!」
まんだらけ「
より正確な言い方をすると、「女子がネットに顔出しをする時はかまってほしい時なので、かまってやれ」という話ですね。
Twitter / YUKI14 (via 774)

中国人民解放軍が軍事力を直接行使する戦争以外にも国際的政治工作活動である「三戦」を実施していることは、日本でも認識されている。

 三戦とは、国際世論を中国にとって好ましい方向へ導く「輿論(よろん)戦」、敵側軍人の士気や国民の結束を低下させる「心理戦」、それに国際法秩序を活用して中国に有利な国際環境をつくり出す「法律戦」の3つのカテゴリーの政治工作を意味している。

 中国はハードパワーの戦争に備えるための急激な軍備拡張と並行して、ソフトパワーの戦争であるこれらの三戦をも着実に実施しており、とりわけ中国にとっては“目の上のたんこぶ”である日本と日米同盟に対する輿論戦や心理戦には着実な成果を上げている。その成果の1つが、昨今日本に氾濫している「戦争をする国」という表現と考えられる。

mishasminions:

onyourkneesbiitch:

pix-gif:

CHRISTMAS CAT GIFT

I LOVE HOW IT JUST SITS THERE

"TOO LAZY TO MOVE SO I’LL JUST ACCEPT THIS TORTURE"

mishasminions:

onyourkneesbiitch:

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破産にはいくつか種類があって、自分でする破産と他人にさせられる破産がある。
自分で崖から飛び降りるのと、人に背中を押されるパターンだな。
同様に、法人だけの破産と、個人まで一緒に飛ぶ破産がある。
私はVC(ベンチャーキャピタル)という奇特な商売を20年もしているので、当然、投資失敗!事業失敗!株主や債権者さん・・・すいません飛びましたという場面にしょっちゅう立会う。
イケイケの「オレIPOしますよ。見ててください!」という、若者が、その後、モデルの彼女と付き合い、カッコイイスポーツカーを運転し、インテリジェントビルににオフィスを構え、プレスで堂々と会見し、日本のザッカーバーグと自分で言っていたベンチャーの社長が、
1年後に、オレと一緒に東京地裁の民事20部でパイプ椅子に並んでマイクで呼び出されるのを待つという構図は何度となく見てきた。
東京地裁の本館じゃなく、横の簡易裁判所で破産者は裁かれる。他の地裁は、ちゃんとコート(法廷)が用意されるが、東京は数が多いので、いくつかのグループが一緒に同じ大きなフロアで一斉に債権者集会がおこなわれる。
学校の教室三つ分の広さぐらいなところにずらっとパイプ椅子が並べられ、中央にはホワイトボードが立つ。入口には破産者の名前が書かれた紙が30人分ぐらい並び、その中から、自分の名前を見つけ、破産者本人ですと告げ会場に入る。
50個ぐらい並んだパイプ椅子にごっちゃに破産者も債権者も座り、順番を待つ。そのうち、ホワイトボードに名前と番号が貼られ、マイクで何番テーブルに行ってくださいといわれる。
6個ぐらいのテーブルに分けられ、2番テーブルに向かうと裁判官と破産管財人、破産者、債権者、いる時は破産者の弁護士が付く。
別に怒号などないし、ぎゃぁぎゃぁ騒ぐやつもいない。そもそも破産後の債権者集会に参加する債権者は稀で、私ぐらいしかいない。ほとんど淡々と粛々と財産の回収状況が報告され、裁判官は次回の集会の日時を告げる。
起業した時の熱情も、モデルの彼女も、いっしょに最後まで頑張りましょうと手を取り合った社員やパートナーもいない。かつて仲間と呼びあった奴らは全員いなくなり、来ない。誰も来ない。IPOを目指しますと私にかつて宣言した元社長がネクタイもしないでクリーニングもされていないスーツ姿で孤独に私の前に座っているだけだ。
機械的に粛々とオートで処理される。
数か月に一度、そんな集会があり、大体平均1年もすれば、免責という借金が全チャらになる。
破産者は借金取りから解放されるかわりに、事故情報が金融機関と住んでる市区町村に流れる。7年の経過を経ないと次回の破産はできても免責はないので、執行猶予7年という感じだ。
全世界の金融システムや保険制度の使用不能及び今まで付き合って来た取引先や知人全部にバカのレッテルを貼られるぐらいで、法的処罰を受けるわけではない。
なので、消息不明イコール逃げているわけではなく、連絡を取らない、取れないが正解だろう。数か月に一度は東京地裁で顔を合わせるのだから生きていることは確認できる。
自殺する奴は少ない。オレの管轄の感想だが。
復活はどうか?
二つに分かれる。
計画的に破産したやつは、知人が「そいつ昨日ゴルフ場で見かけたよ。」と債権者集会の前の日に教えてくれる場合もある。
バックれて逃げるやつは破産前で、破産すると腹をくくった奴は意外と逃げない傾向にあるようだ。
徹底的に責任を被って、男義を見せて全財産すっ飛ばして、前のめりにドブに頭から突っ込んだ奴は、10年単位で地獄をさまよう。
20年たったが、破産したにも関わらず、いまだに私に月に15万5000円づつ振り込んでくる元社長がいる。離婚もし、子供とも会えない。ゴミのような生活をしている。誰ひとりとして相手にされない生活だ。宅急便で夜バイトしている。
そいつの借金は後50年ぐらいあるが、先日オレに事業計画書を持ってきた。
オレは投資するつもりだと返答した。
倒産後社長は何をしているかって?
それぞれの本当の生きざまをさらしているだけだ。
糞野郎は糞野郎のように生き、社長の肩書は飛んだが、人間としての責任を全うすることを選ぶ奴もいる。
残念ながら、飛んだあとでも連絡を取れるのは100分の1だが、
そんな奴とは何度でも一緒にパイプ椅子に並んで座る覚悟でいるつもりだ。
投資家にはぶんなぐられるが、そんな頭がおかしいVCがいてもいいと思っている。